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矢沢永吉における「マスターマインド」

思考は現実化する』では、マスターマインドについて次のように述べています。

【成功するには組織的な知識が必要】
▼計画作りとその実践に必要な人材を集めたグループをマスターマインドという。
▼マスターマインドにより、驚くほど短期間にリーダーになることもできるし巨富を築くこともできる。
▼富を築き、成功を収めるには必ずそのためのエネルギーが必要である。二つ以上の頭脳が調和のとれた協力をすれば、超越的ともいえるエネルギーをつくり出すことができる。
▼豊かになるには、計画を立てて協力者をつくらなければならない。
▼幸福は行動することによってもたらされる。行動しなければ何も生まれてこないのである。

 

矢沢永吉の場合のマスターマインドの代表的なものは、バンド作りでしょう。ザ・ベース、イー・セット、ヤマト、キャロルへと矢沢はリーダーシップを発揮してバンドを形成・解体しながら進化させていきました。

プロを目指す計画作りとその実践に必要な人材を、身体を張ってでも集めました。その行動力はマスターマインドのエッセンスが見事に反映されています。

以下にそれぞれのバンドの形成過程での状況を、『成りあがり』から抜粋してみます。

    • 最初のバンド ザ・ベース結成

全部で五人くらい集まって、顔パッと見て、思った。「即、解散!」なんで、しばらくやろうと思ったか。キッカケをつくろうと思った。既成事実をつくって、そこから出発しよう。始めなければ、いいミュージシャンにも会えない。彼らには悪いけど、当時オレは、そう思ってた。

      • 天才がオレのさばにきて 夢を実現してくれる ザ・ベースはつぶそう

天才じゃ。天才がオレのそばにきて、オレの夢を全部理解してくれてる。「やれる」。広島からのオレの夢が、かたちになってきた。
千原のチョーキング。藤田のハモリ。木原もハモれるから、三重唱できる。月賦で苦労して買ったエコー・チェンバーもある。強力!もう、そのへんのバンドと同等になってきた。

        • イーセット ディスコを荒らす よそのドラマーを引っこぬく おまえらとは夢がちがうんだ

メンバーが決まった。イー・セットっていう名前にした。
その頃、メンバーは「矢沢はスーパースターになる」っいぇ信じてたって。「矢沢について行けば・・・」そのくらいの影響力があったみたい。自信過剰の塊だったよ。オレぐらいボーカルできるやつはいない。アマチュアではいない。そう思ってた。
オーデション受けに行くでしょ。一発で全員圧倒ね。
マネージャー出てきて「すぐ契約書」っていうことになってきた。もう、その頃はハッタリ言わないわけよ。自信あるし。

          • ヤマト誕生

ドラマーが交代して、ここで正式にヤマトになった。戦艦「大和」のヤマト。大和魂のヤマト。
オレは、もう、ヤマトの時点では、絶対的にリーダー・シップを持つようになっていた。メンバーを集めて、オレの構想を全部話した。その構想というのは、キャロルの構想でもあったわけだ。
レコード会社に売り込んで、と。あれは、原盤というものがある。出版というものがある。作詞作曲印税というものがある。アーチスト印税がある。印税は、だいたい何円何実践・・・全部調べてた。こういう魅力のある世界だ。当たれば、キャデラックにも乗れるだろう。大邸宅にも住めるだろう。そういう話をした。オレは星をつかみたかった。こういうことをメンバーに話した。その当時、オレは常に印税計算をしていた。
 

しかし、ヤマトは解散しました・・・

その挫折感と経済的にも最悪のキツイ状態の中で、一日二千円のアイスクリームの積み降ろしのアバイトしながら、新しいバンドを作る努力を続けました。

            • 新しいバンド作ろう

アイスクリーム屋のバイトは、六時ぐらいで終わるのね。それから、オレは新しいバンドのメンバーをチェックしてた。貼り紙貼って、連絡先の電話番号書いといてね。ディスコティックとか、楽器屋とかにね、貼った。横浜、横須賀、すべて。
とにかく、三人そろった。キャロルは、これで準備OK.ヤマトが出演していた店に話をつければ、余裕で出演できるからね。ジョニーの家で乾杯した。
アイスクリーム屋は、やめた。メインの仕事は、あくまでもバンドだからね。

人の目に触れさえすればビッグになれる そんな確信があった
電話をかけてハッタリかましたよ。例のやつ、また。
「ボクたち、横浜、川崎あたりじゃ、もう革ジャンにリーゼントでかなり決めまっくてるバンドですけど。知らないの」って感じ。
知らないよナ、三か月だもん、まだ。第一、革ジャン、革ズボン、リーゼント。ないのよ。せいぜいがとこジーパン。

              • そうやって、押しまくってるうちに、デモ・テープだけでも聞いてくれるってことになったんだ。

テレビに出られることになったわけよ。『リブ・ヤング』だよ。日曜の夕方の番組だった。
やっと爆発する時がきた。乗りまくった。「ウェン・アイ・ワズ・リトルボーイ」ガンガン歌った。その頃のオレの気持ちは、何でオレのような素晴らしいアーチストを世の中は見抜けないんだ、と、そういう不満があったからね。過剰なくらいに自信があった。それが、フジテレビでワーッときたわけよ。

                • キャロル始動 ステージ レコーディング 動きは急上昇

ミッキー・カーチスに会う。「やあ、よかったよ、テレビ」「矢沢君、是非ぼくのプロジュースでレコードつくりたいと思うんだ」
わ、きたぞ。そう思ったよ、心の中で。
『ガロ』のボーカルをはじめとして、誰々誰々と、気に入ってくれる人が増えてった。カメラの篠山紀信さんも『リブ・ヤング』を見て、協力してくれる姿勢になってきた。
キャロル・・・このあたりからは、みんな知ってるとおりだよ。急上昇してった。

『思考は現実化する』 ナポレオン・ヒル(著)
『矢沢永吉激論集 成りあがり』  矢沢永吉(著)

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