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昭和40年代:カラーテレビと東北の年末アルバイト

第二次世界大戦後の日本の高度経済成長を支えたのが、「三種の神器」「新・三種の神器」でした。一般庶民でも努力すれば手が届く夢の商品であり、新しい生活の象徴でもあったので、需要は急拡大していきました。

そのような人々の購買意欲が旺盛だった古きよき時代に、私は幸運にも「新・三種の神器」の一つであったカラーテレビの納入・設置のアルバイトで、憧れの商品を手に入れた人々の喜びように触れることができました。

昭和40年代初め頃ですが、私の実家のある秋田では年末になると、家族揃って楽しむことのできる唯一の娯楽である紅白歌合戦を、今年こそ少し大き目のカラーテレビで見てみたいという家庭が現れてきます。

私の学生時代の懐かしい想い出の一つに、こうした紅白歌合戦を待ちわびる人達の期待を背負っての年末アルバイトがありました。カラーテレビのアンテナ立てです。

カラーテレビは東京オリンピックを期に普及したとはいえ、昭和40年代初めの頃の東北の田舎町では簡単に買える商品でもありませんでした。

紅白歌合戦を見るために上等のカラーテレビを買って贅沢な時間を過ごしてもいいかどうかは、贅沢に慣れていない人々にとってはけっこうな決断が必要でした。

ですから、考えに考え、迷いに迷って大晦日が間近になって決断する家庭が多くありました。

テレビ電波事情のよくなかった当時は、屋根に高々としたアンテナを立てる必要がありました。このアンテナを立てる電気店の人の手伝いをするのが、私の冬休みのアルバイトだったのです。

実家のある秋田県の北部海岸の町の冬は寒い。屋根の上の作業だからシベリアからの季節風が吹くとたまらなく寒い。農家の急こう配の屋根にアンテナを設置する場合は寒さに怖さも加わって震えがきます。

しかし、それにも増して楽しいアルバイトでした。待ちに待ったカラーテレビが家に来るということで、どこの家庭でも大歓迎されました。

さすがに酒どころの秋田だけあって、一升びんを持って出迎えてくれる家もありまする。屋根の上は寒いだろうからと、コップに冷酒をついで何杯か酒を体に入れから作業したらいいと言います。
アンテナ立てが終わる頃には熱燗と鍋を準備しておくから、寒くて大変だろうけど頑張って頂戴という調子です。

アンテナ立てが終わり、テレビからカラー画像が現れた時、見守る人達の何とも嬉しそうなご満悦の表情を見るのは非常に楽しいものでした。

そのような状態だったので、テレビは大事にされ、立派な布地のカバーで覆ったり、観音開きの扉のついた商品を買って、家宝のようにありがたく見る家もよくあったものです。

紅白歌合戦、カラーテレビ・・・それぞれの存在感は年々薄れて、今ではその他大勢の娯楽や商品の一つにしかすぎなくなってしまいました。

かつてのカラーテレビのように、家中で大事に着飾ってもらえるような商品が再び現れることはあるでしょうか?

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